BENTLEYの名車1929年製TEAM BLOWERが12台限定の「コンティニュエーションシリーズ」として復活
- Bentleyの最高傑作が復活、戦前レースカーのコンティニュエーションシリーズは世界初
- Mullinerのスペシャリストがリバースエンジニアリングを駆使し、ティム・バーキン卿の名車4½リッターTeam Blowerを復刻
- 12台の新Blowerは当時のTeam Blowerが参戦したレースへのオマージュを込め、一台一台オリジナルを忠実に再現
- 先頃再現された1939年製Cornicheでレストア技術の高さは折り紙付き
- Blowerにインスパイアされ100台限定生産されたContinental GT Number 9 Editionはすでに完売
- 「コンティニュエーションシリーズ」はサロン・プリヴェ・コンクール・デレガンスにて正式発表
数々の歴史的名車を生み出してきたBentleyの中でも屈指の1台、1929年にティム・バーキン卿の依頼によって製造されたスーパーチャージャー付き4½リッターBlowerが12台限定で蘇ります。
この復刻モデルは、Bentleyのビスポークとコーチワークを担う部門、Mullinerのスペシャリストらによって一台一台ハンドクラフトされます。戦前のレーシングカーを忠実に再現したモデルが、「継続」の意を込めた「コンティニュエーションシリーズ」として登場するのはこれが世界初となります。
1920年代後半、バーキン卿のレースチームのために製造されたオリジナルのTeam Blowerは4台のみでした。4台ともヨーロッパ各地のサーキットで活躍しましたが、最も名を馳せたのはバーキン卿自身がステアリングを握った2号車、登録番号UU 5872でしょう。この2号車は1930年のル・マンに参戦し、BentleyワークスチームのSpeed Six優勝の立役者となりました。
今回、この1929年製Team Blowerをベースに、何世代も受け継がれてきた職人技と最新デジタル技術を組み合わせ、オリジナルのTeam Blowerである4台が参戦したレースへのオマージュを込め、12台が忠実に復刻されます。
Bentley Blowerコンティニュエーションシリーズはサロン・プリヴェ・コンクール・デレガンスにてBentleyのエイドリアン・ホールマーク会長兼CEOによって発表されました。「Bentleyが100周年を迎えた今年、過去を忠実になぞりつつ、最新鋭のデジタル技術を用い、私どもは非常に素晴らしいものを作り上げようとしています。4台のTeam Blowerは世界で最も価値あるBentleyであり、貴重なオリジナルを傷つけることなく、実際に運転できて、楽しめて、大切にできる復刻モデルを望む声にお応え致します」
「12台の新しいBlowerは、当社の伝統へのオマージュであるだけでなく、Mullinerの卓越した職人技の結晶でもあります。当社にとっては新たな挑戦となりますが、先頃1939年製Cornicheの復元に成功したことを足掛かりとし、さらに一歩進んで何か特別なものを製作したいという想いが私どもにはありました。まもなく、12人の幸運なお客様にBentleyの歴史的モデルをお届けできることを喜ばしく思います」
まずは、Bentley所有のTeam Blower、シャシー番号HB 3403を分解し、各パーツを一覧にまとめ、細心の注意を払って3Dスキャナーで測定し、完璧なデジタルモデルを作成します。次に、オリジナルモデル製造時に使用された1920年代の金型と治具、伝統的な工具に加え、最新の製造技術を使用して12台分のパーツを製作します。そのパーツをBentleyの熟練工らが組み立て、新しいBlowerが誕生します。12台の復刻モデルは、メカニカルな面もルックスの面も、そしてオリジナルが持つスピリットでさえも、可能な限り当時のままを引き継ぎます。安全性に関してのみ、目立たない部分でわずかに現代のシーンに合わせた変更が加えられます。
その後、オリジナルモデルは名車担当チームによって詳細に点検され、必要に応じて丁寧にメンテナンスをされた上で、元の姿に戻されます。誕生から90年を迎えるオリジナルモデルは、今も現役で公道を走行しています。今年のミッレミリアを完走したほか、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードではヒルクライムを走行し、カリフォルニアの海岸近くにあるラグナセカサーキットではパレードに参加しました。2019年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスで他の2台のTeam Blowerと共に堂々たる姿を披露したのも記憶に新しいところです。
この復刻モデルは、Bentleyの第3世代グランドツアラーにTeam Blowerへのオマージュを込めて製作したContinental GT Number 9 Editionに続き、Mullinerが手掛ける最新プロジェクトとなります。100台のNumber 9 Editionは、一台一台のダッシュボードにオリジナルモデルのパーツの一片が埋め込まれているのが特徴で、発表直後に完売となりました。
オリジナルのTeam Blowerの復刻版となるコンティニュエーションシリーズの各車には、4気筒16バルブエンジン、アルミニウム製クランクケース、鋳鉄製シリンダーライナー、取り外し不可能な鋳鉄製シリンダーヘッドが装備されます。スーパーチャージャーは、アムハースト・ヴィリヤース製ルーツ式Mk IV型スーパーチャージャーの精巧なレプリカとなり、このスーパーチャージャーのおかげで4398ccエンジンの出力が向上し、4200rpmで240bhpを発生します。車体構造には、プレススチールフレームと半楕円形のリーフスプリング式サスペンション、そしてBentley & Draper製ダンパーのコピーが採用されます。さらに、Bentley-Perrot製の40cmのメカニカルドラムブレーキ、ウォーム&セクターステアリングを再現し、シャシーが完成します。
Mullinerの緻密な作業により、12台のコンティニュエーションシリーズが完成するのは約2年後の予定です。価格は受注開始時に決定致します。
名車Team Blower
スーパーチャージャー付き4½リッターBlowerは、戦前のBentleyの中で一際鮮烈な印象を残しました。残念ながら、耐久レースで優勝したことは一度もありませんでしたが、Blowerは紛れもなく当時最速のレースカーであり、007シリーズの作者であるイアン・フレミングもBlowerに魅了された一人でした。フレミングの小説では、主人公のジェームズ・ボンドが乗るボンドカーにBlowerが登場し、イギリスのライバルメーカーのスポーツカーはボンドが所属する秘密情報部MI6の「社用車」という設定になっています。
Blowerは、当時活躍したレーシングドライバーでありベントレーボーイでもあったティム・バーキン卿のスピードへのあくなき追求心から誕生しました。W.O. ベントレーは排気量を3リッターから4½リッター、6½リッターへと上げることでスピードアップを図りましたが、バーキン卿が注目したのはイギリスのエンジニアであったアムハースト・ヴィリヤースの設計によるルーツ式スーパーチャージャーでした。このスーパーチャージャーを搭載することによって、レース用チューニングを施した4½エンジンの出力が130 bhpから240 bhpに向上したのです。 当時Bentleyの会長であったウルフ・バ-ナートはバーキン卿の要請を受け入れて生産を許可し、スーパーチャージャー付き4½リッターが計55台生産され、内5台がレースに参戦しました。レースに参戦した内の4台は、裕福な女性篤志家であったドロシー・パジェの資金援助を受け、ウェリン・ガーデン・シティにあったBirkin & Co’sワークショップで「チームカー」として製造されたものでした。Bentleyが所有しているUU 5872は、この4台の内の2号車です。
UU 5872は1930年のアイリッシュグランプリでレースデビューを果たし、その時のドライバーはバーナード・ルビンでした。同レースにバーキン卿は1号車UU 5871で参戦しました。どちらのマシンにもイギリスのコーチビルダーHarrisons製のフレキシブルな4ドアボディが架装されていました。結果はルービンが8位、バーキン卿が3位でした。同年8月、ルービンはUU 5872でアルスターTTレースにも参戦しましたが、マシンが横転。幸い、彼自身は無傷で脱出しました。ルービンがクラッシュさせたUU 5872は修復され、1930年5月のブルックランズ・ダブル・トゥエルブ・レースに出場するため、新たに9フィート9インチのシャシーとVanden Plas製ボディが取り付けられました。同レースではティム・バーキン卿とジーン・シャサーニュがステアリングを握りましたが、シャシーフレームが破断し、リタイアとなりました。
1930年のル・マン24時間レースでは、メルセデス・ベンツがルドルフ・カラツィオラとクリスチャン・ヴェルナーをドライバーに擁し、スーパーチャージャー付き7リッターのSSKで参戦。前年の覇者であるBentley Motorsは、ワークスチームが3台のSpeed Sixでこれを迎え撃ちました。バーキン卿のチームからも3台のBlowerが出場し、バーキン卿自身が2号車のドライバーを務めました。
レースは序盤から大混戦となりました。画家ブライアン・ド・グリノーの絵には、ミュルザンヌストレートを疾走するバーキン卿のUU 5872がタイヤ2本を草の上にはみ出させ、すり減ったリアタイヤで、カラツィオラのメルセデスSSKを追い抜く様子が描かれています。バーキン卿はピットインするまでカラツィオラに先を譲ることはありませんでした。
このレースでBentleyは「ウサギとカメ」の戦略でライバルを出し抜いたとも言われています。つまり、バーキン卿がカラツィオラを限界まで追い詰め、メルセデスをリタイアさせたという訳です。レース後に語られたこうした逸話の真偽はともかく、カラツィオラのメルセデスは事実、エンジンが水漏れを起こし、リタイアを余儀なくされました。結局、チェッカーフラッグを受けたのは、ウルフ・バーナートとグレン・キドストンが駆ったSpeed Sixでした。
UU5872最後のレースとなったのは、1930年10月のブルックランズ500ハンディキャップレースでした。ドクター・ダッドリー・ベンジャフィールドとエディ・ホールが平均時速112.12マイルを記録し、ハンディキャップ適用で2位に入りました。1931年5月、UU 5872がバーキンのチームで戦ってきた他のBlowerと共に売りに出されるという広告がMotorSport誌に掲載されました。どれも時速125マイルという走行性能を保証されたレースカーでした。
2号車は1960年代に一度レストアされ、現在もほぼオリジナルの状態で保管されています。2000年以降はBentley Motorsの所有となり、外観に若干のメンテナンスが施されていますが、バーキン卿がステアリングを握った当時の姿とほとんど変わりません。2号車は現代もミッレミリアに5回参戦しているほか、ル・マンまでの行程を何度か走行しており、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードやペブル・ビーチ・コンクール・デレガンスでもその走りを披露しています。
Bentleyのビスポークとコーチビルディングを担うMulliner
Mullinerとコーチビルディングのつながりは1760年に遡ります。きっかけは、フランシス・マリナーが郵政当局から馬車の製造を依頼されたことでした。1870年には彼の孫であるロバートがMulliner London Limitedを設立し、当時最先端の機械駆動式馬車を手掛けたことで事業が大きく成長しました。1900年代初頭にはロンドンの高級地区メイフェアにショールームが開設されました。
1923年、ロバートの息子であるH.J.マリナーが初めてBentleyのボディを架装し、3½リッターのBentleyがロンドンのオリンピアショーに出展されました。Mullinerはその後も数十年に渡り、数多くのBentleyのボディ架装を手掛け、1959年に正式にBentleyの傘下に入りました。
今日、MullinerはBentleyのクルー本社に拠点を置き、そのワークショップでは熟練のデザイナーやエンジニアがBentleyのお客様からのご要望にお応えしています。最近の偉業は何と言っても1939年製Bentley Cornicheを見事に復元したことでしょう。かつてBentleyのコンセプトカーとして製作され、永久に失われてしまったと考えられていた名車が、Mullinerの類い希な職人技で見事に蘇りました。